乃木坂46

一撃の人たち【乃木坂46】

投稿日:

A Girl Like Me 1

齋藤飛鳥・それまで

私は13歳で乃木坂46に合格した。あの頃、漠然と自分自身を変えたいと思っていた。私にとって、世の中というのは、ただ陰鬱な箱庭でしかなかった。世間では、ハーフといえばある程度色眼鏡で見られるものだが、私にとっては苦痛だった。別に、母が嫌なのではない。分別のつかない無慈悲な笑いというものの持つ圧倒的な暴力の前に、私はただ俯くことしかできなかったのだ。家庭が私の世界の大半だったと言っていい。父がいて母がいて兄がいる。それだけだったし、それだけでよかった。ただ、自分自身のことは好きではなかった。いま思えば、思春期にありがちな自己否定に過ぎなかったのだろうと思う。
乃木坂46は、一言で表せば、家庭の拡張版のようなものだった。家を増改築して、そこに優しいお姉様方が沢山いて、いつでも私に温かい目を向けてくれる。だけど、みんな必死だった。この乃木坂46というプロジェクトが持つ意味はあまりにも大きすぎたのだ。国民的アイドルグループであるAKB48があらゆる場所を席巻する世界の中で、私たちは矮小な存在だった。鼻で笑われるだけ、まだマシというレベルだったのだ。
何度去ろうと思っただろうか。岩瀬が卒業した時、私の中には乃木坂46を辞めてもいいんだという既成事実が聳え立っていた。だが、それはあの時の自分にとっては逃げなのだろうと、なぜか確信していた。それに、広くなった家は居心地が良くなり始めていたから、後を追うようなことはしなかった。他人の真似事だと思われるのが嫌だったのかもしれないが。
乃木坂46は、結成直後から冠番組を持っていた。初めは恐ろしかった。AKB48に追いつけ追い越せというはっきりとした意図から繰り出される企画は、それがテレビショーであったとしても、私の……私たちの心を揺さぶるに充分過ぎた。毎日は新たな挑戦であり、常に試され続け、いつしか心は鈍化していたのかもしれない。数字、形、それが厳然たる事実だった。そこから逃れることなどできはしない。私たちは、ビジネスのツールなのだから。でも、だからこそ、同じ苦しみと喜びを分かち合うメンバーの存在は何よりも有り難かった。
深川が卒業すると知った時、私は変わりゆくグループの中で悟ったのだ。私と同じ年頃の女子たちが色恋に心をときめかせている時、私は同じように恋心を抱いていた。この乃木坂46に、だ。私の中の世界をとてつもなく大きくしてくれたこの場所。その頃には、黎明期より冷笑を向けられることは少なくなっていた。焦りもあったのかもしれない。この世は、栄枯盛衰。みんなを愛し、みんなに愛された深川も、乃木坂46を去って行くのだから。私は、乃木坂46の中で変わりたかった。今度は漠然とした思いではない。この場所でなら、変わってもいい……そう思うことができたのだ。
2016年は、私の人生の中でも、指折りの年だった。ライブ会場の規模が日増しに大きくなっていく。メディア露出も以前とは比べられないほどになっていた。そんな中で、私はセンターというポジションを与えられた。生駒を見て感じた重責。白石が抱いていた恐怖。数多の言葉でズタズタに切り裂かれた堀。彼女たちのことを思い出していた。私に務まるかどうかより、乃木坂46のことを思うたび、自分自身を責め立てたくなった。私は、西野のようなアイドル性など持ち合わせてはいない。生田のように自らを奮い立たせるほどの技量もありはしなかった。だから、自分が取るに足らない存在だと思う他なかった。
私がセンターを務めた夏。あれは本当にたった数日間の出来事だったように感じる。夏は好きではなかった。でも、夏は数え切れない思い出を抱えてやってくる。乃木坂46には、8月生まれのメンバーが多い。毎日が夢のように過ぎていくのだ。祝福を交わしていく中で、夏も悪くないと思った。
裸足、そして、恋をする主人公。まるで私自身が曲の中で笑っているように感じた。あの曲でなければ、私は違っていたかもしれない。いまなら分かる。西野が、全ては運命付けられていると言った意味が。あの時の私に必要なものは、全て暑い夏の日々に詰まっていたのだ。
そんないつもと違う夏の終わりに、私は彼女と出逢ったのだ。

この動画のURL:
https://youtu.be/NmEBSxly4v8

-乃木坂46

Copyright© 地上地下アイドル決戦 , 2024 All Rights Reserved.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。